プジョーは自動車、自転車、そしてモーターサイクルのすべてを手がける、世界的にも稀有なブランドである。しかもその歴史は長い。
鋼鉄作りにはじまったプジョー
15世紀からスイス国境に近いフランスのモンベリアールで生活を営んでいたプジョー家は、一族のジャン=ピエール・プジョーが鋼鉄作りに成功したことで、1810年に製鉄工場を立ち上げる。つまり200年以上の歴史を持つ。
ここでは現在もおなじみのコーヒーミルや時計用スプリングなど、さまざまな鋼製品を作っていく。この間1850年からは、自社製品の鋼鉄の強靭さや刃物の切れ味の鋭さなどを示すべく、ライオンのマークを制定。8年後に登録商標された。
その後もプジョーは活動範囲を少しずつ広げていくが、その中に自転車があった。ジャン=ピエールの孫にあたるアルマン・プジョーが1882年、大きな前輪と小さな後輪が特徴的な自転車を発売したのだった。
1890年に誕生したプジョーの第一号車。蒸気を動力とする三輪車だった。
続いてアルマンは自動車とモーターサイクルにも進出する。前者は1990年に開発した蒸気機関搭載の3輪車が最初で、8年後、つまり今から約120年前にプジョー初のモーターサイクルが生まれる。
このモデルは同じフランスのド・ディオン・ブートン製エンジンを搭載していたが、3年後には自社開発のエンジンの開発に成功。1905年には単気筒エンジンに加え、V型2気筒搭載車が登場する。2年後にはこの年から始まった伝統のイベント、マン島ツーリストトロフィー・レースで、このVツインを積んだ英国車ノートンが優勝。高性能ぶりを証明した。
3ケタの車名はモーターサイクルが先だった
ただし第一次世界大戦が始まると、プジョーはまもなく2気筒エンジン搭載車の販売を終了し、単気筒のシティコミューターに注力するようになる。
それを証明したのが戦後1922年に誕生した110ccの「シクロモトCM1」で、男性版と女性版が用意されていた。4年後に登場した175ccの「P103」はその後継車的存在。Pで始まる3桁数字の車名はこの後しばらく使われた。自動車のプジョーが3桁数字を車名とするのは1929年発表の「201」が最初なので、モーターサイクルが先鞭をつけたわけだ。
続いて1931年、ひとまわり小さな100ccエンジンを自転車の車体に載せたモペッドの「P50」を送り出す。プジョーはこれをヴェロ・モチュール(Velo Moteur)と名づけ、第二次世界大戦後1945年発表の100ccの「P54」と125ccの「P55」まで発展させていった。
1951年には「ビマ(Bima)」という車名の50ccも発表している。宣伝ポスターには女性を起用し、幅広いユーザーにアピールしていた。この展開は次なる新型車への布石と言えた。プジョー初のスクーターとして2年後にデビューした「S55」である。
女性の社会進出を後押しした名車「S55」
ラゲッジスペースを内蔵したフロントフェンダー、優美なカーブを描くリアフェンダーなど、斬新な造形と構造を盛り込んだこのS55もまた、宣伝には女性を起用。女性の社会進出を後押しする、社会的な意味を込めた車種でもあった。
それでいてS55はタフなスクーターでもあった。デビュー翌年の1956年、ベトナムのホーチミンシティ(当時のサイゴン)とパリの間1万7000kmを4か月かけて走破したのだ。トラブルはパンクが一度だけだったというから優秀である。ちなみにベトナムでは3年後にスクーターのプジョーが発売されることになった。
その後のプジョーは、モペッドの進化を実施し、小型ロードスポーツやオフロードモデルにも進出。一方のスクーターはS55によって得られた成功に弾みをつけるべく、バリエーションを拡大していく。
その中でも1997年に登場した『スピードファイト』は、22年後の現在もなおスポーツスクーターの代表格として君臨する。クルマのプジョーでは翌年、エモーショナルなデザインと軽快な走りが多くのファンを生んだ『206』が登場している。どちらもイメージ刷新に成功した。
一方で安全面にも配慮しており、2002年にはスクーターとしていち早くABSを搭載してもいる。
「ブルー推し」の主力モデル、ジャンゴ
その後は2011年に、コンパクトなサイズながら快適性にも配慮したGT的モデルの『シティスター』を登場させると、2014年にはかつてのS55をモチーフとしたネオレトロスタイルの『ジャンゴ』を送り出す。
リアフェンダーまわりの優美な曲線はS55の復刻版と言いたくなるほど。それでいて実用性や快適性もしっかり押さえている。長めの車体とふっかりした着座感の低いシート、広いステップボードはリラックスした雰囲気。パワートレインも扱いやすく、クラシックなデザインに見合った穏やかな走りが味わえる。
今回取材したのは「120周年リミテッドエディション」で、ブルーのボディにキャメルカラーのシートやグリップというコーディネートが、ラグジュアリーな雰囲気さえ漂わせていた。でもブルーのジャンゴはこれだけではない。
日本では10車種を展開しているジャンゴのうち、実に5車種にブルーを設定している。これはレッドやブラックより多い。そう言えば今回、インターネットでS55の画像を調べたら、博物館などに展示している車両はブルーが多かった。
もちろんウェブサイトは日本版も本国版もブルー基調。国内外にスクーターは数多いが、ここまで「ブルー推し」は珍しい。プジョーだからこそ、これが決め色と思う人が多いのだろう。
ADIVAは、東京ビッグサイトで開催された東京モーターサイクルショー2019にプジョーモ…
《森口将之》