この連載は、フランスの「プジョーモトシクル」、そして同ブランドを取り扱うADIVA(アディバ)のヒストリーを掘り起こし、興味深いエピソードを皆様にご紹介するものです。今回は1980年代になって、再びプジョーがスクーター作りに力を入れることになったころの製品を紹介します!
プジョー製スクーターの復権のきっかけは、免許制度の改正
1968年にプジョーは、モデル101というモペッドの大成功作を生産しています。1950年代にプジョーはSシリーズというスクーターの傑作機を作りましたが、1960年代になると戦後の世界的なスクーターブームも一段落し、プジョーもスクーターよりも安価で簡素なモペッド作りに傾倒することになったのです。
1970年に登場したプジョー103。101から始まる、一連のプジョー製モペッドのひとつです。 |
そして1970年代はモペッドとモーターサイクル作りにプジョーは励むことになるのですが、1980年代になると日本のメーカーの作品群が”第2次スクーターブーム”を巻き起こすことになりました。この流れに呼応して、プジョーもSシリーズ以来となるスクーターを生み出すことになりました。
プジョーが再びスクーター作りに励むことになるきっかけは、フランスの免許制度改正でした。それは自動車免許保有者は、80ccのオートマチックの2輪車に乗ってもOK・・・という内容で、プジョーはこの条件に適した市街地での使用に適したスクーターを作れば、市場拡大のチャンスになると考えたのです。
なんと、ホンダとのコラボレーションで生まれたモデルなのです!
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しかし当時のプジョーには、そんな80ccスクーター作りにマッチするエンジンも変速機も持っていないのが実情でした。そこでプジョーが利用したのが、以前よりモペッドの生産などで提携関係にあった日本最大の2輪車製造業者であるホンダでした!
すでに結ばれているプジョーとホンダの間の提携を拡大する形で、プジョーはホンダから「リード」用の50cc/80ccエンジンと変速機の供給を受けることで合意。1950年代のSシリーズは鉄製ボディでしたが、新世代のプジョー製スクーターのボディはプラスチックを多用。これに日本製のエンジンと駆動系を組み合わせることで、SC50/80は誕生しました。
1982年デビューのホンダリード50/80のエンジン・変速機を、プジョーSC50/80は使ってました(写真は1983年型ホンダリード50S)。 |
SC80はフランス国内で年8,500台以上を販売するヒット作になり、スペインの輸出も好調で売り上げを大きく伸ばしました。第2次スクーターブームの影響で、かつてプジョーが得意としていたモペッド市場は落ち込むことになりますが、10代の青年向けの乗り物としてSC50が人気を得ることで、その穴埋めを果たしました。SC50/80のヒットにより、プジョーは見事モペッドからスクーターへという、2輪主力製品の切り替えに成功したのです。