この連載は、フランスの「プジョーモトシクル」、そして同ブランドを取り扱うADIVA(アディバ)のヒストリーを掘り起こし、興味深いエピソードを皆様にご紹介するものです。今回は、プジョーのスクーター史のなかでも重要な1台である、S57のことを紹介します。
女性の社会進出に貢献したプジョー
第二次世界大戦は、戦後に敗戦国だけでなく、連合国側の経済を大いに疲弊させました。戦後間もない時期から1950年代にかけては、イタリア、ドイツ、そして日本のメーカーが作ったスクーターによる世界的な「第一次スクーターブーム」になりましたが、この3国以外のメーカーもそのブームに向けてスクーター開発に励んでいます。
プジョーは1953年にS55という125ccスクーターを発表。モーターサイクルのように跨がなくていいスクーターなので、女性が使う交通手段にもS55は向いていました。戦後は、女性の社会進出が進んだ時代でもありますが、S55も女性の「移動の自由」獲得に大いに貢献した1台になったのです。
欧州全土で大ヒット!!
ヨーロッパ市場でヒット作になったS55に続き、1955年には改良版のS57Bが登場します。S55はボディマウントのヘッドライトが特徴のひとつでしたが、S57Bはハンドルバー側にヘッドライトが移動していました。
堅牢な金属製ボディを持つ初期のプジョー製スクーターは、リアヘビーになりがちなスクーターの構造上の特徴を考慮し、フロント側にトランクとキャリアを持つのが特徴でした。ヘッドライトがハンドル側に移動したことで、S57BはS55よりも背の高い荷物をキャリアに詰めるというメリットがありました(ヘッドライトが荷物で隠れない)。
1957年には、この便利なフロントトランクを廃する代わりに、軽快でオシャレなスタイルを手に入れていたバリエーションモデルのS57Cが登場。これら1950年代に作られたプジョー製スクーターはいずれもヒット作となり、今日のスクーター製造業者としてのプジョーの地位の確立に結びつくことになったのです。
1957年デビューのS57C。 |
これらS系プジョー製スクーターは、戦後のプジョーの企業としての成長を促進させたという意味でも、記念的なモデルと言えるでしょう。