この連載は、フランスの「プジョーモトシクル」、そして同ブランドを取り扱うADIVA(アディバ)のヒストリーを掘り起こし、興味深いエピソードを皆様にご紹介するものです。第2回では世界で最も著名なリアル・ロードレーシング(公道を使ったロードレース)であるマン島TTにまつわる、プジョーの話題を取り上げてみました。
第1回マン島TTは、1907年に開催されました!
リアル・ロードレーシング(公道を使ったロードレース)の最高峰として知られるマン島TTは、1907年に初開催されました。もっとも、使用されたコースは現在のマウンテンコースではなく、1910年大会まで使用されていたセント・ジョンズ・ショート・コースという、マウンテンコースよりも小規模なものでした。
それでも、黎明期のモーターサイクルたちにとっては、25.51kmのコースを10周するという競技内容はTT=ツーリスト・トロフィーと呼ぶにふさわしい過酷なものでした。20世紀初頭のモーターサイクルはギアボックス(変速機)もなければクラッチもありません・・・。そして後輪の駆動は、革ベルトが当たり前でした。
ライダーたちもスペアチューブや点火プラグや工具や空気入れなど、まるでロングツーリングに行くときの装備を携行するのが当たり前。トラブルが競技中に発生したら自分で直して競技続行・・・。本当に「旅」的だったのが、初期のTTでした。
第1回大会は、単気筒クラスと2気筒クラスに分かれて開催
さて、1903年に初めて自社製エンジンを搭載するモーターサイクルを生産したプジョーですが、やがてエンジンメーカー的にプジョー製のエンジンを他社に供給するようになります。第1回マン島TTの2気筒クラスで優勝したノートンが搭載していたのも、プジョー製のエンジンでした。
優勝者のレム・ファウラーは、1周目を23分19秒というトップのタイムで消化。しかし競技中にドライブベルトや点火プラグのトラブルが発生するなど、その勝利は決して容易に得られたものではありませんでした。7周目にはタイヤのバーストにより転倒! ファウラーはリタイアすることも考えましたが、観衆から後続との差は十分あることを告げられ、再び競技を続行しました。
4時間21分52.8秒、平均速度36.21マイル(約58.27km/h)・・・これが、ノートン・プジョーが歴史に刻んだ栄光のリザルトでした。その後1930年代に「無敵艦隊」と呼ばれるほど、TTにおける黄金時代を築く名門ノートンですが、その最初のTT制覇をプジョー製エンジンがアシストしたことは、プジョーの歴史的にも栄えある業績に違いありません。
こちらの動画は「トライアルの神様」と称された名ライダー、サミー・ミラーが運営する「サミー・ミラー・モーターサイクル・ミュージアム」で、TT優勝車と同じ1907年型の6馬力ノートンの組み立て工程を早送りで紹介するユニークなビデオです。後半には貴重な走行シーンもおさめられているので、ぜひご覧ください!